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スズキフロンテの想ひ出

これは、それほど昔でもない昔の話。

今から20数年前、福岡県の久留米に住んでいる時であった。

GWを利用して宮崎市にいる友人の家に学生時代の友人たちが集まることになった。

当時、私が乗っていた車というのが前述のS39年型のスズキフロンテ(実にエンジンをかけるのも一苦労のじいさん車)だったのだが、
長距離を走ったこともなかったこともあり、周りの止める声もうやむやに出発してしまったのであった。

もちろん高速道路を走る度胸はなく、延々と下の国道を乗り継いでマイペースで運転していった。

久留米市~熊本市~八代市~人吉市
市街地を通って熊本県の球磨川を上るこのコースは、同じ経路を高速道路が通っているため、GW真っ最中とはいえ閑散として快調に進むことができた。

ところが人吉市の高速インターを過ぎた辺りで徐々に車が増え始め、まったく動かなくなってしまった。
それもそのはず、当時、熊本の人吉と宮崎のえびの間を結ぶ峠越えの高速道路がまだ開通していなかったため、人吉インターを降りて宮崎に向かう車が下の道に合流してきたのである。

渋滞である。

快調に走っていた時はなんの不調も訴えなかったフロンテも、いざトロトロ運転に変わると途端にラジエーターの目盛りが上昇してきた。
さらに運が悪かったことには、このじいさん車にとっては渋滞していなくても難関の“人吉ループ橋”が目の前に迫ってきたのである。

人吉ループ橋というのは、峠を越える道を山谷沿いに延々と造ることを敬遠し、谷間にループ道路を建造、一気に山を駈け登ってしまおうと云う壮大な国道なのであるが、高速道路が開通してしまった今、どうなっているかは定かではない。

さて、難関のループ橋である。
結局、ループ橋の3合目あたりでラジエーターの目盛りがレッドラインに達し、路肩に緊急避難、事なきは得たが、次に普通に走り出すためには優に3時間を要した。

早朝出発して、宮崎市に着いたのは日没後。
疲れの余り、帰りも同じ経路を通らなければならないとは、その時は考える余地もなかったのであった。

さて、今年のGWは・・・
少なくともオーバーヒートする様な車で、オーバーヒートする様な場所に出向くことは二度とあるまい。

自動車遍歴

以前、PC遍歴をやったので、今回はその車編をば。

スズキ フロンテ
   ↓
ホンダ シビック
   ↓
ニッサン ブルーバード
   ↓
スズキ MRワゴン

PCに比べるとメジャー系の車ばかりである。
最初のフロンテを中古で手に入れたのが今から27年前
次のシビックも中古で25年前、そしてブルーバードが新古車で17年前・・・
新車を2~3年おきに乗り換える人もいるみたいだが、私の場合は乗り潰すまで乗るタイプであった。

フロンテはS39年式で、手に入れた時点で20数年経過し、走行距離も一回りしている様なじいさん車であったため、2年ほどで完全なる寿命を迎えた。

シビックは前の持ち主が“走り屋”だったため、譲り受けた時は既に8万キロを超えていたがエンジンは一度も故障することなく走り続け、16万キロでクラッチペダルの下に大穴が開いた時点で引退と相成った。

ブルーバードも17年目にて、走行距離も20万キロ・・・
こちらも大きな故障はなかったが、工事現場に突っ込んでフロントガラスを割ってしまうアクシデントに見舞われ、昨年引退を余儀なくされた。

そして、税金対策で軽に回帰したMRワゴン(中古)
最近の軽自動車は昔とは比べものにならないほど車体も頑丈で、格好も良く、嫁さん共々気に入っている。

さてさて、この車とのつきあいはあと何年続くのであろうか。

ブルーレイ

ついこの間の話のような気もするが、東芝がHD-DVDからの撤退を表明して、
事実上、DVDの後継はブルーレイディスクに決まった。
VHSvsβの様な馬鹿げた分裂騒動もなく、いち早く統一されたことは実にめでたいのではあるが・・・

私事で申し訳ないが、
はっきり言ってブルーレイいりません。(笑)
DVDで充分。

過去の遺物、VHSテープには耐久性の問題が、
そしてLD(レーザーディスク)には収録時間(2時間を超えると2枚組になる)の問題があり
DVDに代わった時にはその利便さに感動したものだ。

27型程度のテレビと、5.1ch音声で再生できれば、家庭で観る分には何の支障もないと思われるが。

それとさらに不安なのは、既にブルーレイの次の世代のディスクの噂もちらほらと聞こえ始めていることだ。

次世代次世代できりがないこの開発競争は、終わりがない様にみえて仕方ないのだが。

洋ゲー

パソコン遍歴が普通の人とちょっと違うのと同様に
ゲームに関してもちょっと違う道を歩んできた。

今となっては懐かしい思い出だが
ファミコンRPGでドラクエやFFが絶頂の頃
PCで“トンネルズ&トロール”や“ファンタジー”等の
いわゆる洋ゲーRPGにはまっていた。
トンネルズ&トロールズ ドラゴンウォーズドラッケン
操作性も今に比べると格段に悪く、一歩歩くのに5秒ぐらいかかったりして、
しかもグラフィックはほとんどなくテキスト表示だったりもして
もちろん攻略本なんて贅沢なものはない!

それでも苦労に苦労を重ねてのゲームクリアには本当に達成感があった。

あくまでも私感ではあるが、日本製RPGがいかにぬるいか、しかも最初っから攻略本片手で何が面白いのか。

結婚記念日

結婚記念日である。

いつの間にやら三年目を迎えてしまった。
結婚当初はどうなるか先行き不透明であったが、ここまで続いたのはひとえに嫁さんの忍耐の賜であると思う。
特撮と猫に明け暮れた我が生涯によく分け入ってきてくれたものだと、感謝の念に堪えない。

三年目を調べてみると、"皮婚式"であるらしい。
http://www.eonet.ne.jp/~able/kekkon.html
さてさて、どこまで記念日を延ばすことが出きるのか。
これからもよろしくお願いします。
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いしいひさいち

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いまや雲上の人となってしまった感もある漫画家である。
バイトくんやタブチくんあたりで立ち止まるかと思っていたら、その後も走り続け、
よもや新聞連載まで持つことになろうとは。

今さら何をか言わんやだが
スポーツ、芸能、文芸から政治、経済、国際問題に至るまでその情報収集量の多さと
さらにそれをネタに面白い漫画を描く溢れんばかりの才能は特筆すべきであろう。

その数多い作品群の中でも、私はミステリー・推理小説を元ネタに4コマを描くシリーズが好きなのであるが、
基本的に1つの作品について1ネタ(4コマ一本)、
こんなもったいない描き方をしていてもネタがつきないところが凄いと思う。
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パソコン遍歴

X68000
  ↓
Aptiva
  ↓
O'zzio
  ↓
 hp ノート
  ↓
 hp TouchSmart520

傾向としてはNEC、富士通、ソニーの日本3大メーカーは受け付けず、
時代の流れで仕方ないにしてもX68Kを切り捨てたシャープも以降疎遠に。

DELL、SOTEC、GATEWAYは安かろう悪かろうというイメージがありパス。

IBM、BTOメーカーを経て
疑心暗鬼ながらhp(compaq)の安いノートを購入、
これが思いの外使いやすく、その上丈夫でお気に入りに。

その流れで、今現在、同じhpのモニター一体型デスクトップを使っているのであった。

変身サイボーグ

小学生時代もっともハマった玩具、「変身サイボーグ」のお話である。

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一言でいうと男子版の着せ替え人形ではあるのだが、この頃から特撮にハマっていたので、
ウルトラマン、仮面ライダーの王道ものからバロムワン、怪傑ライオン丸等の一風変わったものまで
かなりの着せ替えセットを(親の財布で^^;)買い揃えた。

ウルトラマン系はスーツがビニールで、寒い季節には固まって着せることが出来なかったり、
デビルマンは布スーツで、遊びすぎてほころんだところを母親に繕ってもらったり、
まあ、元を取るだけは遊びたおした記憶はある。

その後も大事に保管していたつもりだったが、高校から親元を離れて暮らすようになり
いつのまにやら(親に)処分されてしまった様だ。

古き良き玩具の思い出話である。

ロードランナー

引き続きアーケードゲームの話を。
ロードランナー

“ロードランナー”はゲーセンが円熟期を迎え、アミューズメントパークとしての地位を確立する矢先に発表されたアクションパズルゲームであった。

画面所狭しと散りばめられた金塊を、モンスターの追跡を振り切って全て集め、最後に現れる梯子によじ登って脱出すれば1面クリアーとなるトレジャーハントゲームであった。
削って一定時間経過すると復活するブロックや、モンスターを誘導して溝に落としその頭の上を通路にするなど
パズル的要素もかなり強く、オールクリアに向けてこれまた足繁くゲーセンに通った。

たしか全12面でオールクリアすればまた1面に戻る構成であったが
後にも先にも1コイン(¥100)で全面クリアできたゲームは、この“ロードランナー”が初めてであったため強烈に記憶に残ることとなった。

やがてこの“1”が下火になった頃に敵も然る者(笑)、“ロードランナー2 バンゲリング帝国の逆襲”なるものを発表してきた。
この“2”もはまったことははまったが10面目がどうしても解けず、そのうちあきらめて疎遠になってしまったのだった。
風の噂で“3”が出たことも知ったが、その頃にはゲーセン自体にも通うことがなくなってしまった。

“平安京エイリアン”とともに古き良きゲーセン時代の思い出であった。

平安京エイリアン

 平安京エイリアン
正直に白状すると、これは我が生涯において最もハマったゲームであった。

スペースインベーダーが一段落し、その後継機ともいうべきギャラクシアン
とほぼ同時期に発表されたと記憶している。
まだ、ゲームセンターが不良の溜まり場として、先生父兄の類いには煙たが
れていた時代のことである。
パソコンやファミコンなどが普及するかなり前の時代、
たしかに今で言うヤンキーもいることにはいたが、それほど気にせずゲーセ
ンに足繁く通った。

平安京の荒れた町並みを徘徊している妖怪を、検非違使が穴を掘り、落として、埋めて退治する。
ゲーム画面もドット絵で単純極まりないものであったが、面クリアーする毎
に増殖、スピードを速める妖怪どもは、
最近の直接的写実的に見せるゲームのモンスターにも負けないほどの迫力と
臨場感があった。

妖怪につかまって喰われた時の「シャー!」というBEEP音で何度悲鳴をあ
げたことか。(笑)

時は流れ、ファミコン、ゲームボーイ、パソコンなどが次々と普及し、家庭
でのゲーム遊びが日常化された頃、
ゲーセンに通うことも滅多になくなり、それでも忘れることが出来なかった「平安京エイリアン」!(笑)

スーパーファミコン、ゲームボーイ、PCパッケージ版、PCダウンロード版
とソフトが出る度に買い求め、
PC版の起動及びゲーム画面が当時のままであることに感動したり、
結局、当時の臨場感さながらに遊べるのは簡略化されたゲームボーイ版だけ
だったことに愕然としたり、

まあ、初対面から30年以上たった今でも当時を偲んで遊んでいるのであった。

X68000

x68000 
知る人ぞ知るシャープの、一時代を築いた独創的なパソコンである。

当時、MS-DOSとNECの98シリーズが全盛を誇っていた頃、
マルチメディアパソコンという非常に先駆的なコンセプトで登場してきた。

同時期に富士通のFM-TOWNSという、この68Kと同様のコンセプトと運命を辿るパソコンも発表されたが、
マンハッタンシェイプ、ツインタワーという斬新なフォルムにも魅了され、それほど迷うことなく購入に踏み切った。

発売当時、高価なファミコンと揶揄された通り、
ビジネスソフトはほとんどなく、あっても使い難いことこの上ないというハードであったが
もともとホビーユースで入手したという経緯もあり、充分に元は取ったと思っている。

後継機X68030も発表され、その後も順風満帆かと思われたが、
その矢先、Windows3.1そして運命のWindows95が発売され、時代は大きく流れ始める。

まずシャープや富士通など自社の独自OSを積んでいたパソコンの生産が次々と中止された。
68kも例外ではなくhuman68kというOSは非常に短命に終わったのであった。
ゆくゆくはNECの98シリーズでさえも駆逐されてしまうこの流れの中で、
日本のそれも一握りのユーザーしか獲得していない68Kにいったい何ができたというのだろうか。

時は流れ、今は本意ではないにしても、一端のWindowsユーザーに身を窶しているが
あの当時の、あのX68000への熱い思いは今もって忘れることは出来ない。

飯森広一

もうすでに消えたマンガ家の一人に数えられて久しいが、
今から40年近く前、「ぼくの動物園日記」や「レース鳩0777」など動物マンガの第一人者として活躍されていた。
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私にとっては、週刊少年ジャンプを定期購読するきっかけとなったのがこの「動物園日記」であり、
初めて買ったマンガ単行本もこの「動物園日記第1巻」であったため
ひときわ思い入れのあるマンガ家ということになる。

絵自体はそれほど巧くはなく、どちらかというとストーリーで魅せるタイプのマンガ家であったが、
後年の絵がギャグマンガのそれになってきたこと、大作大河マンガの類いはことごとく収拾がつかずに破綻してしまったことが惜しまれる。

アシスタントにも恵まれず、当初の頃は車田政美や村上もとかの“お手伝い”もあることはあったが、
加藤ウラオや星三郎などお世辞にも上手いとは言い難い絵(ひょっとすると脚本などのブレーンとして在籍していたのかもしれないが)のため、マンガ自体の質も低く見られがちであった。
アシスタントの中では今現在商業誌において唯一生き残っている田中つかさも、この時点では単なる絵の巧い素人の域を脱していない。

今、暇に任せて飯森動物マンガを読み返しているところであるが、
昨今の殺伐とした時代背景においては、ことさら感動に足る作品群であることを再認識している。

破綻した大作「60億のシラミ」の構想新たな再開等々、切に復活を願っていたのだが・・・

2008年5月に他界。

合掌。

ガンバの冒険


小学生の夏休み、親類の家に2週間ほど泊まりがけで遊びに行ったことがあった。
その時、毎朝10時くらいからTVでアニメのコーナーがあり、そこで放送されていたのがこの「ガンバの冒険」の再放送であった。

ガンバの冒険 

ちょうどガンバたちがノロイ島への冒険を始めた辺りからで、敵方のカラス、ネコ、イタチ等の描写もおどろおどろしく、毎日食い入るように見ていた覚えがある。

苦労の末ノロイ島に辿り着き、物語も佳境に入ってゆく・・・

ところが、あと一日で最終回・・・というところで時間切れ、実家に帰ることになってしまったのである。

以来、この最終回を見れなかったことに対して悶々とすること30数年。
結局、最終回を見ることが出きたのは、大人になって自分でLD-BOXを買ってからだった。
その時の感動は筆舌に尽くし難い。(笑)

怖い夢

ある日の夕刻。

私は、古い木造校舎の教室に一人で居る。
整然と並んでいる木の机や椅子にはうっすらとホコリが積もっている。
もちろん友人も先生も誰一人存在せず、私一人ぼっちである。

古びた木枠の窓を開けようとするが開かない。
同じく木製の横滑りの扉も上下のレールがひしゃげているせいか、開かない。
刻々と薄暗くなっていく教室の中でしだいに焦燥しきっていく中


ふと、窓の外を見るとそこには・・・
 






金目像の目が爛々と光っていた。



小学生の頃、本当によく見た悪夢。

ちなみに金目像とは、
実写版「仮面の忍者赤影」に出てくる敵、金目教の操る巨大ロボットで
この容姿と
「おぉぉぉぉおお~~ん」という陰にこもった唸り声のおかげで
充分トラウマにさせていただきました。(笑)

死なない猫マンガ

猫マンガなるものをよく読んだ。

始まりは大御所“セツ子・山田”の「一丁目のトラ吉」「猫語辞典」
 

 けっこう楽しく読んでいたが、読み続けていくうちにあることに気付く。
登場する猫たちに入れ替わりがあることに。
山田先生の作品には“猫の死”そのものが描かれることはないが、
その猫がいなくなった喪失感というものが節々から伝わってきて胸がしめつけらた。


その次が“桜沢エリカ”の「シッポがともだち」

軽いタッチのエッセイ漫画で、避妊など深刻になりがちなテーマもさらりと流して非常に読みやすかったが、最後の最後でカッチーが死んでしまって、読んだことを後悔するほど落ち込んた。

それからいろいろと遍歴を重ね、
やはり、死なないほのぼの猫マンガが一番!ということで
今は“こなみかなた”に落ち着いている。

吾輩は飼い猫である。

名は"なすけ"という。
何故このような名前になったかと云うと、我が御主人は無類の猫好きであるらしく、吾輩がこの家に世話になり始めた頃には"あすけ""かすけ""さすけ""たすけ"と云う雄の先輩達が居て、どうやら雄としては5番目の猫と云うことらしい。
また別に雌の先輩達も居たが、こちらは"あみ"とか"まみ"とか、不公平にも可愛い名前が付けられていたのが妙に悔しかったりした。

さて、その御主人であるが、朝に滅法弱い。
朝になれば、猫といえども腹が減る。最初のうちは猫全員でご飯の催促をすればしぶしぶながらも準備をしてくれたものだが、最近は呼べど騒げどびくとも動かなくなってしまった。

そこで各猫思索を凝らして主人を起こす作戦に出ることにした。
"あすけ"兄さんは、御主人の鼻の穴に爪を突っ込んでかぎ爪を立てたまま引き抜くという技を編み出した。一発で目を覚まさせることは出来るが血みどろになった御主人が烈火の如く怒るので、その後やりづらくなった様だ。
"たすけ"兄さんは、御主人の寝ているベッドの横にある本棚の上によじ登り、そこから腹の上に直接飛び降りるという荒技を編み出したが、体重が8キロ近くあるうえ本棚に乗っている本やら置時計やらを巻き添えにして飛び降りるので、身の危険を感じた御主人が本棚の位置替えをしてしまった。

吾輩もいろいろと考えてみたが、最近、御主人がなにかと頭を気にしていることに気が付いた。
やたらと鏡の前で頭頂部を眺めていたり、
育毛剤らしきものを振りかけてマッサージしていたり。
実際御主人の頭のてっぺんは、このまま進むと芋洗坂係長みたいな頭になるのではないかと思われるほど明らかに薄くなってきており、ここを責めれば案外簡単に朝起こせるのではないかと考えた次第である。

さて、実地見聞の朝、先ず耳元で鳴いてみるが案の定反応は無い。顔に頬ずりをしてみてもなしの礫である。
そこでおもむろに御主人の弱点と思われる"頭頂部"で軽~く爪を研いでみた。
これが効果てき面!
御主人は仇敵に出遭った小鼠の如くベッドの上で飛び起きたのである。
なにか文句を言っていた様な気もするが、朝ご飯を準備して頂けるなら甘んじて受けよう。

ただし、この方策はあまりしつこくやりすぎると酷く怒られそうなので、週に数回で留めておこうと思っている。

初代呉璽羅のひとりごと

初代のゴジラこそ日本特撮怪獣映画の始祖にして最高峰!と信じて疑わない懐古オヤジです。

・・・が、最近、年のせいかそのパワーが落ちていっているのも否めません。^^;

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